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新蔵物語

創業以来、開拓者精神をもって酒造りに勤しんできた梅乃宿。 清酒を巡る環境が大きく変化する中、ブランドコンセプトである 「新しい酒文化を創造する蔵」を体現すべく奮闘してきた「蔵」を巡るものがたり。

新蔵ものがたり 第15回

120周年行事と五代目蔵元誕生

2013年(平成25年)、梅乃宿は創業120年を迎えました。周年記念式典当日の催しと、周年記念商品の発売などに向けて企画の骨格を固めていったのは、第14回でお話したように佳代が指揮したプロジェクトチームです。そのプロジェクトチームがリードする形で、各部署の責任者を巻き込みながら約2年かけて準備が具体的に進められていきました。

後に部長となる福山が担当したのは、主に当日の式典とそれに向けての準備でした。蔵開きイベントや利き酒会などの経験はあったものの、周年記念はそれらとは違い、過去に経験したことのない大がかりで重要な催しです。得意先への招待状の発送やお土産の手配から、当日の受付や案内などまで、記念式典がスムーズに運ぶように心を配り「とにかく、お客さまに粗相のないように」と気を張って臨んでいました。営業部では、招待客の当日の席次をどう決めるかに侃々諤々(かんかんがくがく)の議論があったようです。皆が共通して抱いていたのは、招待客やお客さまを第一にという思いでした。

周年記念商品の制作にも心を配りました。梅乃宿の酒造りに対する思いと同じく、手に取る人への思いを込めて手間暇をかけた質の良さを伝えようと、準備したのは、赤と紺のフラスコ型のボトルに詰めた日本酒でした。奈良県のガラス職人に依頼したそのボトルは、真っ赤に熱したガラスに吹き竿で息を吹き込み、1つ1つ成形する吹きガラス技法で仕上げた上質な一品ものです。完全予約制での販売でしたが、すぐに完売する人気となりました。

記念式典は、約300人の来場者を迎えホテルの宴会場で盛大に催されました。その華やかな場で梅乃宿は、「次」を見据えた3つの大方針を発表しました。

1つ目が、佳代の五代目蔵元就任です。暁は、記念式典に向けてのプロジェクトでは全体の監修という立場を取ってはいましたが、社員を巻き込みながら実際にプロジェクトを動かしていたのは佳代でした。暁はこのプロジェクトを、佳代の社長就任に向けての最終試験と考えていたのかもしれません。佳代自身も、プロジェクトを進める中でリーダーとしての自覚を深め、社員との接し方に自信を得ていったようでした。

 

新ブランド立ち上げと、新蔵構想

五代目蔵元就任=社長交代と同時に2つ目として発表したのが、新たに立ち上げた「新しい酒文化を創造する蔵」というブランドコンセプトと、その下で生み出した新ブランド商品でした。

実は2012年(平成24年)から、佳代は梅乃宿のブランディングにも力を入れ始めていました。梅乃宿の基盤となっているのは、創業以来の日本酒蔵としての誇りであることは間違いありません。その一方で、蔵の低迷を救う新たな柱として、リキュール事業が大きく成長していました。梅乃宿にとってはどちらも欠かせない存在ですが、リキュールの知名度が急速に高くなり、梅乃宿=リキュールという認識が広がっていることは、蔵が抱える大きなジレンマにもなっていました。

そこで策定したのが、新たなブランドコンセプト「新しい酒文化を創造する蔵」です。日本酒蔵としての誇りと、リキュールなど新しい醸造文化を土台にした新しい分野に挑戦する中で、その両方の認知度を酒造業界で向上させることを狙い、社長交代という機会をとらえて発表したのです。

その一環で生まれた「伝統と革新」というテーマに沿って、伝統的な造りで醸した調和の取れた酒と、新しい酵母を使うなど革新的な造りで醸したみずみずしく爽やかな味わいの酒という2つのコンセプトから成る「山風香」ブランドも発表。「今までありがとう、これからもありがとう」の思いと共に式典会場で振る舞われ、お披露目されました。

そして3つ目が、蔵移転構想でした。発表を耳にした招待客からは驚きの声が上がりましたが、新蔵構想は少し前から梅乃宿内で温められていたものでした。

理由の1つに蔵の老朽化がありました。ただし、古い蔵を建て替えるとなれば日本酒の醸造をひと造り以上休まなければなりません。しかも、日本酒に加えリキュールの製造も活発化して製造現場は手狭になっていました。製造を担う蔵と、瓶詰めラインや物流倉庫などがバラバラと点在している実情を見れば、蔵だけ建て替えても動線の悪さは解消されないと分かっていました。そんな頃、社員旅行で出かけたのが「富乃宝山」で知られる鹿児島の西酒造です。そこで見学した新しい蔵に暁が触発され、新蔵を建てる機運が高まっていったのです。

後に部長となる田中は、以前から社内で耳にしていた移転計画が記念式典という公の席で発表されたことに、「いよいよ変わるんだ」と胸を躍らせました。福山も「こんな風になったら」「新しい瓶詰めラインを入れられたらいいな」など、みんなの夢がふくらんだのを感じたといいます。

その後、新蔵が実際に形となって実を結ぶまでのことは別の機会にお話したいと思います。ただし、記念式典で発表された新蔵元、新ブランド、そして新蔵の話題が、招待客やお客さま、そして社員に、新しい風を吹かせたことは間違いありませんでした。

梅乃宿内に流れるその新しい風に乗って、五代目蔵元に就任した佳代が次に本腰を入れたのが日本酒造りの刷新でした。背景には、国内経済の成熟に伴い人々の働き方が変化、その影響が酒造りの体制にも広がってきていたことがありました。そのお話は、次回、じっくりとお聞かせいたしましょう。

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