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新蔵物語

創業以来、開拓者精神をもって酒造りに勤しんできた梅乃宿。 清酒を巡る環境が大きく変化する中、ブランドコンセプトである 「新しい酒文化を創造する蔵」を体現すべく奮闘してきた「蔵」を巡るものがたり。

新蔵ものがたり 第16回

変わりゆく酒造りの体制

これまでにお話してきたように、杜氏と蔵人たちが出稼ぎで蔵に入り、酒造りの本番である冬季だけ働くという形態は時代とともに成立しなくなっていました。その流れに対応し、梅乃宿では早い段階から蔵人は社員が務め、1995年(平成7年)から梅乃宿で日本酒を醸した髙橋杜氏の時代には、杜氏だけが出稼ぎで蔵人は地元の社員という体制になっていました。蔵人の平均年齢が20代と若く女性蔵人も在籍するなど、梅乃宿は当時の日本酒蔵としてはかなり進歩的だったのです。

それでも「蔵人が社員になっても、杜氏と蔵人が集まって一緒に和気あいあいと食事をしたり、夜を徹して作業をしたりするなど、日本酒造りの体制に変わりはなかった」と、現在部長を務める田中や、後に日本酒製造課の課長となる上田は社員蔵人として働いていた当時を振り返ります。

現在は取締役を務める桝永も「蔵は神聖な場所で、一般社員からするとベールに包まれている感じ。酒造りは杜氏の領分で蔵元も口を出さず、杜氏の指揮のもとで醸した酒を営業が売るという関係性だった」と、酒造りにおける往時の杜氏の掌握力を語ります。

時を経て、2010年(平成22年)に髙橋杜氏から北場杜氏へバトンが渡される頃になると、蔵のさらなる変革が求められるようになっていました。カンやコツに頼るのではなくデータを駆使し、若手社員が「蔵人として働きたい」と思える勤務体制を重要視するようになっていったのです。杜氏には、酒造りだけでなく梅乃宿が醸す酒の方向性や魅力を社内外に発信する役割も担ってもらおうと、出稼ぎという雇用形態ではなく会社の部長として遇し、他部署との交渉や会議、酒販店向けの催事などへの出席を任せていきました。

時代と働き方のこうした変化を敏感にとらえ、蔵の変革に取り組んでいたのが佳代でした。その動きは2013年(平成25年)に五代目に就任すると本格化していき、「杜氏制度を廃止し、社員による清酒造りをスタートさせる」という大きな決断へとつながっていったのです。

杜氏制度廃止、社員による酒造りへ

北場杜氏は、もとは大手酒造メーカーに在籍した経験豊富な杜氏でした。引き出しも多く、地酒蔵での酒造りという新たな挑戦を梅乃宿で体現していたのでしょう。蔵人育成にも熱心で「見て覚えろ」という昔ながらの教え方ではなく質問にしっかり答え、カンだけに頼らずデータを駆使する手法や、研修などに積極的に参加して見聞を広めたり、お客さまの声を聞いたりする機会を設ける大切さを伝えていました。

現在の梅乃宿の蔵人たちは皆、杜氏がいなくても自分で考えて作業を進めています。こうした自立した蔵人が育つ梅乃宿の風土の基礎は「北場杜氏時代に培われた」と思っているのが桝永です。

やがて、髙橋杜氏・北場杜氏のもとで育ってきた蔵人の中から、杜氏の補佐を務める蔵人の「頭」に指名されたのが上田でした。上田が頭として三造りを経験した頃、梅乃宿での挑戦に一区切りついたと北場杜氏は考えたのでしょう。「あとは任せても大丈夫だな、僕も新たな場所で違う造りをやっていく。頑張れ」と蔵人たちの背中を押し、新たな挑戦の場へ歩み出すことを北場杜氏は皆に告げました。

「北場杜氏に替わる新しい杜氏がいらっしゃるのか?社員の誰かが杜氏になるのか?」など、皆がさまざまな考えを巡らせていたある日のことです。蔵元であり社長の佳代から「応接室に来るように」と、桝永と上田、そして後に企画開発部の課長となる播野に呼び出しがかかりました。次の日本酒の仕込みに取りかかる数カ月前、2016年(平成28年)の5月頃のことでした。

その場で佳代が第一に挙げたのは、「蔵の勤務体制を一般の社員と同じようにして欲しい」ということでした。そのために、上田が蔵(現場)を仕切り、播野がデータ分析でそれを支え、桝永が製造部部長として全体を取りまとめるという3人体制での日本酒造りを提示したのです。3人はいずれも蔵人の経験があり、ともに30代後半で年齢も近く、息も合う間柄でした。「この3人なら面白いことがやれそうだ」と播野は思い、播野のデータの裏付けがあればカンに頼らない酒造りができると桝永は確信していました。

問題は蔵の勤務体制です。改善が進んできたとはいえ、一般社員と同じということは、朝8時半に出社し、夕方5時半にはタイムカードを押して退社するということを意味します。休日も一般社員と同様に取得できる体制が必要です。最大の課題は、酒造りの核となる麹室での作業など、泊まりが必要とされる仕事をどうやりくりするかでした。そこで上田は「麹を作る大規模な機械を導入すれば、泊まりはなくせます。それがなければ難しいと思います」と提案。それを聞いた佳代は「それで可能になるなら」と即座に前向きな回答を返しました。

当時は、若手の蔵元や若手杜氏が手掛ける新しい日本酒が注目されつつあった時代でした。しかし梅乃宿が杜氏制度を廃止して社員による酒造りにかじを切ったのは、そうした話題性を求めたからではなく、あくまで社員の働きやすさを最優先にした結果だったのです。

もちろん、機械化すればすべてが解決するほど酒造りは甘くはありません。それでも、作業効率を上げるために蔵人たちは細かな工夫を1つ1つ積み重ね、佳代が目指した「一般の社員と同じ蔵の勤務体制」は形になっていったのです。

そうして試行錯誤の末に実現した社員による酒造りでしたが、営業や酒販店が最も気にかけたのは「味はどうか」ということでした。しかし、不安はいい意味で裏切られました。社員による酒は最初の造りから好評を博し、2018年(平成30年)には全国新酒鑑評会で金賞を受賞。2020年(令和2年)にはラインナップのリニューアルも図り、「新しい酒文化を創造する蔵」として梅乃宿は新たな一歩を記しています。杜氏に命じられたまま黙々と作業するのではなく、データを使い自立して考える酒造りのスタイルが梅乃宿に定着していたゆえの成果なのでしょう。

リキュール製造を手掛けていることも功を奏しています。梅乃宿では、リキュールに用いるアルコール(日本酒)を作る必要があり、その工程を活用して、蔵人たちが思い思いに設計した酒造りを試すなど経験を深めることができています。

さまざまな経験を糧に自立した蔵人たちからは「こうしてみたら」と酒造りについての意見が次々に飛び出し、蔵は活気づいています。2022年(令和4年)7月の蔵移転が、彼らのやりがいの追い風になっていることは、吉田家の庭先の梅の木の私の目から見ても確かです。

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