梅乃宿とは
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新蔵物語

創業以来、開拓者精神をもって酒造りに勤しんできた梅乃宿。 清酒を巡る環境が大きく変化する中、ブランドコンセプトである 「新しい酒文化を創造する蔵」を体現すべく奮闘してきた「蔵」を巡るものがたり。

新蔵ものがたり 第13回

本格化する世代交代!? 蔵の娘としての苦悩

市場での日本酒売り上げの減少に対応し、焼酎やリキュールの製造に乗り出すなど暁が奮闘していったこと、その先見の明でリキュールが梅乃宿の経営を支える新たな事業の柱として育ち始めたこと、大黒柱として梅乃宿を支えてきた暁が、世代交代を意識して若手の育成に努めてきたことはこれまでにお話ししてきた通りです。

そうして育った梅乃宿の若手社員の中から、やがて五代目に就任するのが、吉田家の長女、佳代でした。佳代が一社員として梅乃宿に入社した前後のお話は以前にも少し触れましたが、ここで改めてしっかりお話ししておきましょう。

佳代が入社したのは2004年(平成16年)のことです。大学を卒業し、大手商社で約3年働いてからの転職でした。その姿を見て、吉田家の庭先の梅の木である私は「この間まで庭を元気に走っていた子が、いつの間にか立派な大人になって」としみじみ思ったものでした。

さて、営業に配属され、佳代が担当したのはデパートなどで開催する試飲販売です。店頭に立つと持ち前の人当たりの良さもあり、売上をどんどん伸ばしました。

「酒蔵の娘だからそれは当然のこと」と思われるかもしれませんし、梅乃宿の先輩たちもそんな風に見ていたかもしれません。しかし当時の佳代は、梅乃宿や酒造りについてほとんど分かっていませんでした。子どもの頃から蔵を遊び場にしてはいたものの、日本酒の造りや梅乃宿の商品、梅乃宿の歴史、財務状況などに関しては、他の新入社員と同様にほぼ素人といえる状態だったのです。売上を伸ばせたのは、店頭での接客に佳代の気質がうまくはまっただけだったのかもしれません。売上を伸ばす一方で、佳代の悩みは深まりました。

「もっとできるはずや。もっとちゃんとやって提案もしたい」と強い気持ちは持っていたものの、何をどう勉強すればいいかすら分からない手探り状態が続きました。試飲販売のない日に事務所に出ても、単発で顔を出す新人に対し、責任ある仕事を任せたり、系統立った指導をしたりするのは困難です。DMを封入するなど、誰にでもできるその場仕事をあてがわれるのがせいぜいでした。

それでも、試飲会だけでなく奈良の小売店も担当するなど徐々に仕事の幅を広げ、販売店の方々の声を聞き、佳代は知識を蓄えていきました。もちろん、その間には心がくじけそうになったり、考えを堂々巡りさせぐずぐず悩んだりしたのも事実です。それでもその苦しい時期を、持って生まれた向上心と責任感などで乗り越えていきました。また、ロータリークラブが主催した「次世代のリーダーを育てるプログラム」で学んだ、企画・運営・予算編成等の実践的体験など、周囲から多くを吸収し応用していく力も佳代には備わっていました。

そして、このものがたりの第9回でお話ししたように、入社して3年が過ぎる頃、暁に「社長になりたい」と宣言するまでに佳代は成長していったのです。

その佳代の言葉を聞き「お前に能力がなかったら継がさんかもしれんけど、悪いと思ってくれるなよ」と暁は宣言。それを聞いた佳代は、梅乃宿に対する暁の強い愛情を改めて実感しました。暁の立場なら、かわいい娘のお願いを「分かった。社長になったらええ」と二つ返事で聞き入れることは造作もありません。しかし、父親ではなく梅乃宿を率いる長として、暁が社員への責任をまっとうしようとしていることが伝わってきました。梅乃宿を愛する暁の気持ちと娘への愛情が胸にせまり、佳代は涙をこぼしました。

「社長になりたいなら、認めてもらえるようにもっと頑張らないと」。こうして翌期から、佳代は社長付けとして気持ちも新たに働き始めました。

広がる、改革マインド

2000年代に入るころから暁は経営コンサルタントのアドバイスを受け、家業としての商売から企業としてのビジネスへ転換させる下地を作り始めていました。部署の呼び方を「蔵と店」から「製造と営業」へと変えていったことも、以前少しお話した通りです。そして人事考課を検討するなど、仕組み(形)は徐々に整い始めてはいましたが、長らく親しんできたやり方もあり、まだ目に見えて何もかもが変わっていく、という程ではありませんでした。その流れを、一気に加速させたのが佳代でした。

佳代は大手商社で一度働いてから梅乃宿に入社しています。そのため、梅乃宿に入社した当初、商社の職場環境と梅乃宿のそれを比べて大きなギャップを感じたようです。

例えば定期的な健康診断や、制服の着用ルールも特になく、衣替えの時期なども人によりまちまち。福利厚生や財形貯蓄制度なども整っていませんでした。家族経営の私企業であるなら、それも当然だと佳代は思いました。しかし、企業としての発展・成長を目指すなら、改め、整えていくべきことがたくさんあると痛感したのです。こうして始まった佳代の改革・改善のベースにあったのは、社内制度を整えて社員が働きやすい環境を作りたいという熱い思いでした。

そこで、給与システムや職場環境の整備を開始。商社で総務担当だったこともあり、環境を整えるために必要な5S活動—「整理(Seiri)」「整頓(Seiton)」「清掃(Seisou)」「清潔(Seiketsu)」「しつけ(Shitsuke)」の5S—や、制服についてのルール作りなども必要だと感じました。社員に若手が増えたこともあり、例えば制服の交換時期や破れた場合にどうするかといった細かなことまで、きちんとルール化してマニュアルにし、見える化する方が皆が動きやすいと考えたのです。こうした仕組み作りの流れは、製造現場で製造マニュアルが作成されるなど、社内のさまざまな部署・分野に広がっていきました。

業績が厳しい時も若手の採用を続けていた暁の方針を踏まえ、新卒採用にも力を入れ、採用面接にも佳代は積極的に関わっていきました。

この他にも、ブランディングや配送センターの整備など、やるべきことはいくらでもありました。さらには、長らく梅乃宿の酒を生み出してきた蔵を一新し、新しい蔵を建てる構想も浮上してきます。数々の改革を前に若干の怖さを感じながらも、「今がやるべき時」との思いが佳代の背中を強く押していました。

 

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