梅乃宿とは
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新蔵物語

創業以来、開拓者精神をもって酒造りに勤しんできた梅乃宿。 清酒を巡る環境が大きく変化する中、ブランドコンセプトである 「新しい酒文化を創造する蔵」を体現すべく奮闘してきた「蔵」を巡るものがたり。

新蔵ものがたり 第9回

家業としての商売から、企業としてのビジネスへ

蔵の存続をかけて活路を拓こうと、梅乃宿はリキュールへの進出を進めていきました。一般的に変化には、痛みやきしみ、戸惑いが伴います。ご多分に漏れず梅乃宿でも、ここまでお話してきたような四苦八苦が製造現場や営業で繰り広げられました。

先頭に立って経営の回復にあたっていた暁も、心の中ではうめき声をあげていました。他社に先駆けて挑戦する気風と、新しいものをキャッチして商品に生かす発想力で、暁はここまで蔵をけん引してきました。財政的な厳しさはあっても、30代、40代の頃は泉のようにアイデアが浮かんだようです。しかし50歳を越え50代も半ばにさしかかると、一人でひねり出すアイデアに限界を感じ始めていたのです。経営が苦しくても採用に力を注ぎ、若手の人材発掘に力を入れていった背景には、「吉田商店という個人商店のイメージでは、たいしたもんはこれ以上でけへん」という暁自身の焦りもあったようです。

日本酒の需要低下にバブル崩壊が追い打ちをかけ、経営状態がずるずると悪化していった2000年ごろ、銀行から紹介されて導入した経営コンサルタントからのアドバイスも暁に変化をもたらました。

実はコンサル導入に先立ち、梅乃宿は銀行の紹介で企業診断を受けていました。そこで突きつけられたのは「このままでは先行きはない、もたないだろう」という厳しい現実だったのです。「日本酒を製造するだけの酒蔵では立ち行かん。企業として酒類の製造・販売をする会社にならんと」。もうあとがないと宣告された窮地から脱するために、コンサルのアドバイスで経営や就業規則などの見直しが進んでいきました。

毎年、期首会議を開き、前年度を振り返って新年度の目標やビジョンを共有するようになっていったのもこの頃から。部署の呼称も、「蔵と店」から「製造と営業」へと変わっていきます。営業の数字も、いつどこでどれだけ売れたかを常に明確に管理できる仕組みが整っていきました。商品をリキュールへと広げただけでなく、「家業としての商売」から「企業としてのビジネス」へ、梅乃宿は着実に体質改善を果たしていったのです。

変化する時代、世代交代を模索

梅乃宿が変化していくそんな頃、2004年(平成16年)に入社したのが、後に五代目となる佳代でした。吉田家の長女として生まれた佳代は、小さな頃から蔵を遊び場として過ごし、蔵人や社員からかわいがられ育ちました。それゆえでしょうか「いつか梅乃宿で働くのやろな」という漠然とした思いは、佳代が中学生になるころには芽生えていたようです。

しかし、大学を卒業した佳代が就職したのは、梅乃宿とは縁もゆかりもない、歯科医療関連の商品を扱う商社でした。新卒でスッと入社する娘と見られるのを佳代自身は良しとせず、社会経験を積みたいという考えがあったようです。

暁には3人の子どもがいましたが、長女の佳代の考え方や行動に自分に近いものを感じてはいました。そこで、他社で働く佳代に「梅乃宿を手伝ってもらいたい」と声をかけたわけですが、経営や人心掌握の力量はまったく未知数だったため、入社=後継者にすることとは考えてはいませんでした。

「長く続いている企業は、若者やよそ者の力に支えられている」。自分自身も養子(よそ者)だった暁は、後継者として、社内で育ってきた人材や外部人材の検討を考えていました。その選択肢の中に、梅乃宿の社員として佳代を加え、資質を見極めようとしたのでしょう。

こうして、就職して約3年で梅乃宿に転職することになった佳代は、営業の一員として梅乃宿での仕事をスタートさせることになりました。

「社長を継ぐ」。プレッシャーを乗り越え宣言

蔵元の娘として育つ中で自然に身に付けてきた蔵に対する愛情と、持ち前の明るさや人当たりの良さも後押ししたのでしょう。佳代が百貨店などの試飲販売で営業に立つと、その店の1日の売上は大いに伸びました。しかし一度実績を上げると、次回はそれ以上を期待されます。お客さまが喜んでくださることに楽しさを感じながらも「売らないと」というプレッシャーは相当なものでした。一方で、試飲販売などの催事のない日は社内で手持ち無沙汰になり、書類を三つ折りするなど、その場その場の仕事をこなすことが少なくありませんでした。

「娘だからこそ、周りの期待に応えないと。もっとできるはずや」という思いは、「もっとしないといけない。でも何をしたら良いかわからない」と佳代の中でいつしか大きな重圧になっていったようです。同期入社の髙橋をはじめ、佳代が悩んでいる気配を周囲は感じ取リ始めていました。

そんなある夏の日。営業からの帰社が遅くなった佳代はふと空を見上げ、19時を過ぎていたにもかかわらずあたりが明るいことに気づきました。時間だけ見ると夜だと思っていたのに、日はまだ高くこれから遊びに出る人もいるだろう。物事の見え方は考え方や見方次第なんだ…。自分の思いにとらわれすぎていたという気づきが、佳代の迷いを吹き飛ばしてくれました。

こうして梅乃宿に入社して3年が過ぎる頃、佳代は「私が社長をやりたい」と暁に伝えます。背中を押したのは、とある研修会で講師から聞いた「リーダーにとって、決断しないのが一番の罪悪」という言葉でした。「はっきり示さないと、私が梅乃宿を継ぐのか、腰掛けなのか周りは分からない。私の態度が、皆にどっちなんだと思わせている」。ただその時の暁の答えは「お前に能力がなかったら継がさんかもしれんけど,悪いと思ってくれるなよ」でした。

それでも佳代は暁の下で社長付けとなり、後継者として本格的に修業を重ねていくことになります。

社内ではもちろんのこと、吉田家で食卓を囲む際も「あの社員はこういう長所がある」「今年の酒質をどう思う?お客さまが求めているものは何か?」といった具合で、業務時間外も2人が話す話題は仕事に終始していました。庭先の梅の木である私にも、2人の真剣な声はよく聞こえたものです。

こうして、リキュールという新たな事業の柱と後継者候補や若手が育ち、梅乃宿の前途はいよいよ順風満帆かと皆が感じ出していたその矢先。リキュールの原料調達に問題が起き始めていました。

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